ブラジルではそろそろカルナバルの時期になりますね。
リオが有名ですが、北のバイーアがサンバ発祥のようです。バイーアでは何週間にも渡ってお祭りが続き、もちろんその間誰も仕事はしません。日本では考えられない文化ですね。
私自身も4回ブラジルに行ったことがあります。3回は駒場学園高校のサッカー部の選手と一緒にブラジル遠征に行きました。その話はまた次回にしたいと思います。
最後の4回目=一番最近ブラジルに行ったのは、2008年の1月でした。駒場学園高校サッカー部の監督時代に、3年間コーチをしてもらっていたマルシオ・ホジェリオ・デ・アンドラーデさんの墓参りが主な目的でした。
墓標をご覧になればおわかりの通り、2007年7月17日にマルシオ本人(享年35才)、奥さん(メリッサ)、奥さんの弟(アンドレ)、マルシオ夫婦の娘(アラニス)と全員サンパウロのコンゴーニャス空港で起きたタン航空の飛行機事故で亡くなられました。ちなみに「マラカナンの悲劇」と呼ばれるリオのマラカナンスタジアムでブラジルがウルグアイに1-2で逆転負けし、ワールドカップ(ブラジルではコッパ ド ムンドという)自国開催で優勝を逃したのは、1950年7月16日です。マルシオとその家族についてはまた別の機会に書きたいと思います。
今回は、その時墓参りに一緒に行ってくれたのがバリさんだということです。
コンゴーニャス空港近くの事故現場でとマルシオの大好きだったスコール(ブラジルのビール名)と献花をした。500km離れたマルシオの実家があるモンチアプラジベウ。
そこからさらに100km離れたマルシオの新居(プールつき)とお墓のあるビリグイまで、バリさんとアナさんが車を運転してくれました。バリさんとマルシオは92年名古屋グランパスにマルシオが入団したとき以来の親友です。
普段は陽気で気さくなバリさんもさすがにこの時は神妙でした。私がすごく落ち込んでいたせいもたぶんにあるでしょうけど...。車の中もいつもなら冗談ばっかり言い合うのですが、この時はそういう気にもなれませんでした。
600kmという距離がどのくらいの距離なのか、よくブラジル人は「600kmは近いね、すぐだよ」といいいます。日本で考えたら大変な距離です。これだけ移動してもサンパウロ県を出ません。ブラジルの国土の広さが体感されますね。
これを1泊2日で往復。といっても夜も遅くまでマルシオのご両親やお姉さん、近所の人たちと飲み、朝も早くから出発でほとんど寝ていない。なおかつ墓参りの帰路、ミラソウFCに立ち寄り代表のカルロス・ホベルトや運転手のラランジャ(ポルトガル語の意味はオレンジですが、なんとあだ名でなく本名!!)と再会したり、ヒベロンプレートで空手道場を経営しているバリさんの親友カズオ・カワノ・ナガミネさんと一緒に夕食をとったりしてサンパウロに着いたのは朝の4時頃だった。
バリさんの両親には2004年にブラジル遠征に行ったときにマルシオと一緒に会いに行ったことがあった。
もちろんその時はバリさんは日本にいたのだけれど!
今回はバリさんと一緒にご両親に会うことができた。カンピーナスの近くの別荘地(山の頂上付近一帯が別荘エリアになっている)にプール・前庭・後庭・別館つきのすばらしい場所に住んでいる。このエリアの出入り口は1カ所しかなく、管理棟を通らなければ中に出入りできない安全性の高いところになっている。1月という夏の季節だったのが幸いし、庭の果物はマンゴー・ライム・スターフルーツをはじめ10種類以上が見事に実っていた。まさにリゾート!
ブラジルの豊かさはこういう「果実の豊かさ」もそうだけれど、「人間のあったかさ」が一番だろう。5日間の間、ずっとバリさんの家に泊めてもらい、いろいろな人に会わせてもらって感謝、感謝です。
バリさんやブラジルについてまた続きを書きます。
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